Search

“時計の普及活動に命を捧げた苦労人”フランソワ・ペルゴを偲ぶ会に参加してきました(ウオッチライフニュース) - Yahoo!ニュース

 幕末、日本でスイス製の時計を広めるべく奮闘したスイスの時計職人、フランソワ・ペルゴ氏。時計好きの方ならご存知かもしれないが、彼は横浜の外国人墓地に眠っており、毎年ジラール・ペルゴの輸入代理店であるソーウィンド・ジャパンやジラール・ペルゴを取り扱う時計店“コモンタイム”などの協力により“偲ぶ会”が開催されている。

 先日取材でソーウィンド・ジャパンを訪ねたのだが、思いがけずフランソワ・ペルゴ氏に話がおよび、今回偲ぶ会に参加させてもらうことになったので、その様子を報告したい。

 開催日当日。集合場所であるコモンタイムへと向かった。ショップに着くと、ブランド関係者はもとよりフランソワ・ペルゴにゆかりのある時計のコレクターで、研究の第一人者である大川展功氏や、長年不明とされていた墓地を発見した作詞家で編集者でもある松山 猛氏も集まっていた。

 開始早々、他の参加者とともにショップからほど近くにある外国人墓地へ向かう。入り口付近にあった一際大きな生麦事件の犠牲者の墓に歴史を感じながら歩くと、そのすぐ横にフランソワ・ペルゴ氏の墓があった。

 一人ずつ墓を覆うように献花をしていく。異国の地でどのような思いで亡くなったのだろう。お疲れ様でした、と心の中で声をかけながら献花をさせてもらった。

 興味深かったのは、墓前に懐中時計を供えていたこと。コレクターの大川氏がフランソワ・ペルゴ氏にゆかりのある時計を三つほど、毎年違うものをセレクトして持参してきているのだという。

 今回も大川氏は三つの懐中時計を持参。そのうち左の時計はチェーン引きクロノメーター脱進機が搭載された高級な懐中時計で、中ブタに1867年のパリ万博で受賞した旨が彫り込まれている。おそらくフランソワ・ぺルゴ氏が本格的に時計輸入に従事する少し前にスイスから欧米に輸出されたものであろうとのことだ。そして、真ん中がフランソワ・ぺルゴ、右がファブルブラントの懐中時計で、どちらも初期のリューズ巻きで裏面がシースルーになった販促用のセールスマンウオッチである。

 以前は、日本に最初にスイス時計を持ち込んだのはファブルブラント氏であろうと言われてきたが、現存する古時計を研究し日本向けの独特な仕様が確立していった過程を考察していくと、フランソワ・ペルゴ氏の可能性が高い。

 単なる一つの例ではあるが、右のファブルブラントが真ん中のフランソワ・ぺルゴよりもサイズが大きいのがお分かりいただけるだろうか。日本で時計が流通し始めた明治初期には小振りな時計が主流であったという背景からすると真ん中のフランソワ・ぺルゴの時計のほうが古いと言える。それ以外の様々な証左からも、スイス時計を日本に最初に持ち込んだのはフランソワ・ぺルゴであるという説が有力だと解説してくれた。

 その後参加者全員で記念撮影を行ったあと、参加者は茶会の場へと案内された。

 時間の都合で筆者が参加できたのはお墓参りまでであったが、茶会の席ではコレクターの大川氏が持参した時計の詳細な解説など、フランソワ氏にちなんだ会話が交わされたとか。

 せっかくなので、ここでフランソワ・ペルゴ氏の人生について説明したいと思う。

【関連記事】

Let's block ads! (Why?)



"時計" - Google ニュース
January 14, 2020 at 06:10PM
https://ift.tt/2ssyDHe

“時計の普及活動に命を捧げた苦労人”フランソワ・ペルゴを偲ぶ会に参加してきました(ウオッチライフニュース) - Yahoo!ニュース
"時計" - Google ニュース
https://ift.tt/2Pbci8l
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update

Bagikan Berita Ini

0 Response to "“時計の普及活動に命を捧げた苦労人”フランソワ・ペルゴを偲ぶ会に参加してきました(ウオッチライフニュース) - Yahoo!ニュース"

Post a Comment

Powered by Blogger.