〈大きい大きい虹/山の下の家まで/とどいてゐる/あの家の人は/美しからうな〉
(「虹」)
旅に出る際、行き先ゆかりの本に目を通す習慣を持つ人は多いのではないか。
今回、僕が手に取ったのは、熊本の早世の詩人、海達(かいたつ)公子(1916~33)の童謡集(トライ出版)である。
冒頭の「虹」のほか、海にちなんだうたに心惹(ひ)かれる。
〈しほのひきかけた/海で/お日さんが/およいでゐる/つかまえやうとしたら/つかまえられんじやつた〉
(「お日さん」)
〈もうすこしで/ちつこうの/さきにはいるお日さん/がたにひかつて/まばゆい/まばゆい〉
(「夕日」)
海達は尋常小学校2年で雑誌「赤い鳥」に応募。北原白秋に「珍しい詩才の持ち主」と評されたが、熊本県立高等女学校卒業後、虫垂炎に腹膜炎を併発し、16歳で死去した。この間、遺(のこ)した作品は約5千。
海達が見た虹と、そのとき僕たちが出会った虹とはどちらが大きく、美しかったか。6泊7日のクルーズの旅も5日目の夕刻、最終寄港地の熊本県・八代を出港してまもなくのことだった。
「あ、虹だ。見て見て」
そう声をあげたのは妻である。
虹は西の海から大きな曲線を描き、見る見るうちに東の海へ達した。折り返すように外側に2つ目の虹が駆け上がり、二重の虹が完成した。
沈みゆく夕陽(ゆうひ)のバラ色とも響き合う光のハーモニー。濃淡や色彩を変えながら日没まで数十分続いた。

=家族撮影
「生きていると、いいことあるね」
クルーズ船のバルコニーで、妻が言った。
「そうだね」と僕もうなずく。こんな切迫した会話になったのには理由があった。
長男夫婦に誘われ、2世代4人で出かけた人生初のクルーズ旅行。なのに僕は、食事や観光を途中で断念することが続いていた。
2日目=夕刻、船内で観(み)たショーで音響と照明に気分が悪くなり、夕食を欠席
3日目=韓国・済州島を訪れ、シャトルバスで市場まで出たものの、暑さにやられ、とって返す
4日目=福岡県・太宰府天満宮にタクシーで着いたが、本殿までたどりつけず。さらに夕食も中座
5日目=熊本県・八代で市街地に出るも、少し歩いただけで引き返す……。
正直に言えば「観光客」というより「修行僧」のような心境だった。
腰痛と猛暑のせいである。
腰の痛みで椅子に長く座っていられないのは年来の悩みだ。とりわけ辛いのが、長時間に及ぶ会食の席だ。またパーキンソン病による自律神経障害で、発症前は大好きだった夏の暑さに極端に弱くなった。噴き出す汗がやまず、熱中症のような状態になる。
もとより病を抱える身。失速は覚悟の上の旅ではある。とはいえ、あまりに度重なる挫折に打ちひしがれていたとき、出会ったのがあの虹だったのだ。
この旅で、まず目を見開かされたのは船の大きさだ。MSCベリッシマは客室数2217、最大乗客5655人のイタリア船。レストランやショップ、劇場、プールやジムを備えた「海に浮かぶホテル」と言っていい。

=家族撮影
ただ、乗組員のほとんどが外国人で、日本語はほぼ通じない。


驚くのは、それにもかかわらず、車いすや歩行器を使う乗客が実に多かったことだ。
体調を崩したら、いつでもすぐに部屋に戻って横になれる。僕のような乗客にとっては、そのことが第1の利点である。
仮に日本国内で各地の宿を電車やバスで泊まり歩くとしよう。部屋に入って寝転がれるのはチェックイン(午後3時のところが多いように思う)後だ。僕自身、これまで何度もロビーで辛い待ち時間を過ごしたことがあった。
もうひとつの利点はバリアフリーの徹底ぶりだ。
僕が泊まった部屋はアクセシブルルーム(ユニバーサルルーム)。客室内は完全に段差がなく、バルコニーとの出入り口にはスロープが設置されている。トイレには手すり、シャワーには椅子が備え付けてある。


船内を見渡しても、乗客が出入りする場所はほぼバリアフリーだ。階段を使わざるを得ない乗下船時には、車いすや歩行器を運んだり、身体が不自由な乗客に手を貸したりする乗組員を配置する。そのうえで、待ち時間を極力短くするなどの配慮も怠らない。
国内のホテルや旅館でも法整備に伴ってユニバーサルルームの設置は進んではいる。ただし数は限られ、予約が取りにくい。僕の経験では、古い施設を改修した場合など使い勝手の悪い例も目立つ。
クルーズ船は、身体に不自由がある人たちの、こうした不満に手を伸ばしているように僕には思えた。
見方を変えれば、国内のホテルや旅館も、工夫次第で「身体に不自由を持つ客に優しい宿」と評価され得る可能性があるということだ。ユニバーサルルームを増やす▽ユニバーサルルームではチェックインの時間を柔軟にする▽貸し出し用の風呂の椅子やベッドの手すりなどの数を増やす――などである。
僕たち客の側も、たとえば「風呂の椅子は必需品」「トイレに手すりがないと使いにくい」などとホテルや旅館に率直に思いを伝えたい。ひとつひとつの声は小さくとも、積み重なれば、現状はきっと変わる。
旅の終わりに、工藤直子さん(1935~)の詩を思った。
〈ゆうがたの海は 太陽の日記帳です/雲や風と 出会ったことや/カニやカモメと 遊んだことを/光の文字で 海に書きます/海にうかぶ ちいさな島々は/あれは 句読点です/書きおとしはないかと/太陽は もういちど海を照らし/ぱたりと「今日」のページを閉じます〉
(『工藤直子詩集』より「日記」ハルキ文庫)
僕が心の日記帳に記したのは、虹との出会いだけではない。「失敗」の2文字でもない。
八代市街で暑さのあまり逃げ込んだスーパーで、「涼んでいって」と声をかけてくれた店員さんの優しさ。炎天下の太宰府で食べたアツアツの梅ケ枝餅のおいしさ。済州島で接岸した岸壁に近い韓国海軍基地で、存在を誇示する軍艦と潜水艦のものものしさ。ウミネコなど海辺にすむ鳥たちを撮れた喜び。

ウミネコ=博多港

アオサギ=済州島西帰浦江汀
2日目のショーでは気分が悪くなったものの、4日目と5日目のショーは楽しめたうれしさ。僕にあった椅子に巡り合えた船内のパブで飲んだギネスのうまさ。


そして何より、万事をテキパキ差配してくれた長男夫婦の頼もしさ。
多くの出会いや記憶を胸に刻んで、僕たちの短い旅は終わった。できればこんなに暑くない季節に出かけられればよかった、との反省と共に。
♦次回は、9月25日(月)公開を予定しています。
文・写真 恵村順一郎
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