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時計オタクにお酒を飲ませすぎるな(GQ JAPAN) - Yahoo!ニュース

オタク・イズ・ビューティフル

先日、海外からの翻訳原稿をチェックしていた。非常に良い訳だったが、文中にオタクという言葉がある点は気になった。原文を確認したところ、nerdyとある。この言葉はgeekと基本的には同じ意味だが、よりいっそうオタクっぽい。なるほど、オタクは適切な訳だろう。しかし、時計の原稿でnerdyという言葉を目にするようになるとは思ってもみなかった。nerdにしろgeekにしろ、オタクが自虐的に使う言葉でしかなく、メディアが良い意味で使う言葉ではなかったのである。世間は、オタクにフレンドリーになりつつあるんじゃないか。

筆者は元々時計オタクで、それが長じて、時計について書く仕事をするようになった。今でこそ時計好きの書き手は世界のあちこちで見られるが、昔はほとんどいなかったはずだ。仕事を始めた当初は、オタクは時計を買わないだの、オタクは常識がないだの散々言われた。それで、昔は時計コレクターだった、と自己紹介するようになったが、基本的にはオタクであって、それ以外の何者でもない。従って、付き合っている友人も全員、筋金入りのオタクである。

昔、彼らはクシャクシャの服を着て、お酒やコーヒーを飲みながら、好きなモノの話を閉店時間までしていた。第三者が見ると、全員常識がないように見えたはずで、オタクが叩かれたのも納得だ。しかし、結構な年月が経た今、彼らオタクは偉くなり、お金を稼ぐようになった。筆者は残念ながら例外だが、大多数はそうだと言えそうだ。大企業の役員になったり、会社を興したり、病院の部長になったり、教授になったりと様々だが、では何か変わったのかというと、面白いことに、何も変わっていないのである。外国で仕立てた背広を着て、名刺に大層な肩書きが入り、胸をそらして歩くようになっても、いざ好きな時計の話になったら、人との距離が30cmに縮まり、2オクターブ高い声音で、しかも呼吸をしているのか分からないような早口で、ひたすらに時計への愛を語るのだ。

オタクが偉くなる(全員ではないにせよ)のも考えてみれば当然で、オタクとは好きなモノに執着する人たちである。頼まれもしないのに調べて、頼まれもしないのに人とシェアしようとする。アウトプットをすれば、インプットをしなければならず、シェアする量と、関わる人に比例して学びは増えていく。乱暴な言い方が許されるなら、これこそが学習であり、好きなモノを通じて学ぶ習慣を身に付けた人が、社会で上手くいくのは当然だろう。この間会った人は、かつてはただのオタクだったが、いつの間にか偉くなって、ミニッツリピーター、トゥールビヨンなるものを買おうか迷っているという。曰く「オタクだからこういう時計が買えるんですよ」。

少し大げさに書くと、日本の問題とは、自分を含むオッサン、オバサンたちが学ばなくなったからと感じている。学生時代は勉強したのかもしれないが、生涯学習という考えのない日本で暮らしていると、自ずとインプットは下がってくるだろう。インプットが落ちるとアプトプットは下がり、生産性は下がり、賃金も下がり、社会全体は暗くなっていく。いっぽう、オタクたちを見ると、年々存在感が増しているように感じる。実際、SNSやウェブサイトを開くと、アニメにせよ、歴史にせよ、時計にせよ、車にせよ、好きなモノを学び、それを大声で語る人たちで溢れている。彼ら・彼女らが明るく見えるのは、好きなモノやコトを語っているのはもちろん、自分の学びをアウトプットしてきた、という自信があるからではないか。昔、オタクを避けてきた時計メーカーが、手のひら返しでイベントに呼びたがるのは納得だ。インスタグラマーを呼んでも自撮りの写真しか上げてくれないが、オタクはきちんと時計の情報を、というか、時計の情報しか載せないのである。

では、オタク万歳なのかというと、必ずしもそうではない。かつての自分を振り返ってみると、ジーパンは破れているし、ネルシャツもよれよれで、しかも広田を呼ぶと、同じような風体の人がぞろぞろついてきて、しかもお酒を飲みすぎて話に熱中するあまり、女性のドレスを踏んでも気がつかないのである。それは困るだろう。

というわけで結論である。オタクのプレゼンスは増しているし、情報社会において、その存在感はますます強くなると思っている。あなたが人事担当者なら、オタクに目を向けた方がいいし、時計メーカーのコミュニケーション担当者なら、イベントにはオタクを呼んだほうがいい。ただしオタクを呼ぶ際は、ひとりのオタクとして心の底からアドバイスしたい。必ずドレスコードは設けるべし。そして、お酒の出しすぎには気をつけよう。

PROFILE
広田雅将
1974年、大阪府生まれ。時計ジャーナリスト。『クロノス日本版』編集長。大学卒業後、サラリーマンなどを経て2005年から現職に。国内外の時計専門誌・一般誌などに執筆多数。時計メーカーや販売店向けなどにも講演を数多く行う。ドイツの時計賞『ウォッチスターズ』審査員でもある。

文・広田雅将 イラスト・室木オスシ

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