維新の夜明け前は、イノベーションだらけ!
ギズモード編集部の佐々木は、イノベーションに飢えていました。iPhoneが日本で発売されたときの熱狂、まるでそこにあるかのように手を伸ばしたVR初体験。
たしかにそこにはイノベーションがありましたが、ここ数年はどうでしょう。なんだかもの足りません。何年もイノベーションを取りあげてきたギズモードとしては、心にぽっかり穴があいた気分です。
「なんかワクワクが足りないんだよなぁ。イノベーションって難しいわ〜。」
そんな、答えの出ない悩みを抱えたまま、ぼーっと歩いていた佐々木。ふと気がつくと京都の町を歩いていました。
ここは、幕末の志士たちが眠る霊山のふもと。新しい日本を創るために尽力した坂本龍馬や中岡慎太郎のお墓があります。
そして、たどり着いたのが「幕末維新ミュージアム 霊山歴史館(りょうぜんれきしかん)」。江戸時代から明治に変わる1853年から1868年の約15年間は幕末と呼ばれ、開国によって現代の日本の礎が築かれた時代です。そんな激動の時代ですから、さまざまなイノベーションがあったことは想像に難くありません。
「幕末ってなんかワクワクするよな。何かヒントがつかめるかも!」
佐々木は、吸い寄せられるように霊山歴史館のエントランスに入っていきました。
「坂本龍馬の命を絶った刀」も展示される幕末の資料館
歴史館を入るとそこには「坂本龍馬の命を絶った刀」や「近藤勇の鎖帷子(くさりかたびら)」など、幕末を生きた志士達が使った本物の武器や道具が展示されています。
「幕末にご興味がおありで?」
そう話しかけてきたのは、霊山歴史館の学芸課長である木村武仁さん。幕末のプロフェッショナルです。
「あ、はい、幕末に起きたワクワクするようなイノベーションを教えてほしいんです!」
そう佐々木が答えると、木村さんが特別に館内の案内をしてくれることに。幕末に使われた銃から新選組の給料、豚肉食の話まで、幕末に起きたイノベーションを教えていただきましたよ!
幕末の戦いのゲームチェンジャーは銃だった
木村さんが初めに手に取ったのが、銃です。
「火縄銃がポルトガルから日本に伝わったのが1543年のこと。その後、江戸時代は天下太平が長く続きました。そのため火縄銃の仕組み自体はあまり変わらず、命中精度が上がったり、華美な装飾が施されたりしてガラパゴス的な進化を遂げていたんです。」
なんだか現代のガラケーみたいなことになっていたんですね。
しかし、ペリーの来航(1853年)によって、外国の脅威がより身近に迫ってくると、性能のいい銃が求められるようになりました。
ペリーが来航したころの日本は、すでにオランダ製のゲベール銃が使われていました。火縄銃に比べ、ゲベール銃は天候に左右されないなど使いやすくなっていたものの、大きな弱点がありました。それは、弾込めの方式です。
「ゲベール銃は、先込めといって、装弾するときに銃口から火薬を入れて、それから弾を込めます。そのとき、銃が大きいために立って弾込めをしなければなりませんでした。お互い銃で撃ち合っている最中に、立ったまま弾込めをしていると、その間に撃たれてしまう弱点があったのです」
その問題が解消されたのが、スナイドル銃です。
「スナイドル銃は、弾を手元から入れられるようになったんです。これで立ったまま弾込めをする必要がなくなり、座りながらや寝転んだまま敵から身を隠して弾込めができるようになったんです」
そして極めつきはスペンサー銃。なんと7発の弾を装填したカートリッジを入れて使用する方式になり、連射が可能になったのです。
新式銃が普及したことで、戦争の仕方に大きなイノベーションが起こりました。
「銃以前は、飛び道具といえば弓くらいしかありませんでした。メインの武器は刀か槍だったため、人数の多さで攻めていく“陣押し”戦法が主流でした。ですが、命中率の高い新式銃の登場により“散兵戦術”といって、物陰に隠れて敵に近づき、銃で撃つゲリラ戦に移行します。当時の武士にとっては卑怯な戦い方なのですが(笑)、それが一番戦争で勝てる戦法になったわけです。武器が新しくなることによって戦い方自体が変わったのです。ハードが変わることによってソフトが変わり、ソフトが変わることでハードが変わるという変革が、一気に起こりました」
「なんか、スマホの進化みたいだな...。」
と感心する佐々木。ハードウェアのスペックが上がると、それを存分に活かしたソフトウェアが登場。ソフトウェアの機能がアップすると動作に必要なスペックが上がり、それを満たすハードウェアが開発される。今も昔も技術の進化の仕組みはそれほど変わらないようです。
青い隊服の新選組は「コスプレ集団」だった
幕末といえば新選組が有名ですよね。あの浅葱色の隊服はかなりインパクトがありますが、当時の人びとから見るととてもセンセーショナルな服装だったようです。
新選組の前身である幕府浪士組は反幕府派から上洛する将軍を守るため、江戸から京都にやってきました。その一部が京都で新選組を結成し、京都守護職の配下となり、町の見回りをするようになります。しかし、当時の京都の人はよそ者を嫌う傾向があり、他方からの寄せ集め集団である新選組は不信感を持たれていました。
「そこで新選組はイメージアップを図る作戦として、隊服を着ました。この隊服の元となっているのは、当時流行っていた芝居『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の舞台衣装です」
この舞台上では、戦いのシーンで敵味方の区別をしやすくするために、主人公の赤穂浪士(あこうろうし)が黒地に段だら模様(ギザギザ模様)をあしらった服を着ていました。
新選組は、その赤穂浪士の舞台衣装を真似して隊服をデザインし、京都の人たちにアピールしたわけです。
なお、浅葱色(あさぎいろ、薄い藍色)になったのは、当時の武士が切腹をするときに着る着物の色に合わせたと言われています。敵に対して「それだけの覚悟があるんだぞ」と気合を見せる意味があったようです。
つまり、新選組のブランディングのための施策だったわけですね。そんな新選組の隊服は、京都の人たちの目にはどのように映っていたのでしょうか。
「今でいうコスプレみたいな感じだったんじゃないですかね。赤穂浪士のコスプレをした奇抜な集団が街を歩いているイメージだと思います。」
実はこの浅葱色の隊服は約1年でお役御免になってしまいます。1864年に起きた池田屋事件で有名になりすぎたことで、逆に市中の見回りがしにくくなったため、その後は黒い隊服に袖章を着けるスタイルになったようです。
ギズモードも以前はiPhoneの発売日になると、「iPhone帽子」を作って行列に並んだものです。それもひとえに「ギズモードを世に知らしめたい」という想いがあったからこそ。
「初期のギズモードのマインドと似ているなぁ」
佐々木は、やけに似合う新選組の衣装を着てそう思ったのでした。
死ぬかもしれない「突入係」をシフト制に
新選組には「死番」なる制度がありました。なかなか不穏な名前ですが…。
「池田屋事件では20人以上の反幕府派がいる池田屋の2階に、最初たった4人で突入して危機一髪で勝ちました。しかし、毎回毎回危機一髪なのは危険です。しかも、突入したのは近藤勇をはじめとした幹部4人。もしその4人が死んでしまうと、新選組そのものが存続できなくなってしまいます。それを避けるために、突撃当番をあらかじめ決めておく“死番”という制度ができました」
死番は今でいうシフト制のようなもの。あらかじめ一番先頭に立って突入する当番(=死ぬかもしれない役)を決めておけば当人は覚悟を決めておくことができるし、万が一の場合でも被害を最小限にすることができます。非常に合理的なシステムです。
江戸時代の武士の戦い方とはひと味違う、集団戦にシフト制の導入。今でいう掃除当番や日直みたいなものですが、生死が関わる役にまでシフトを組んでいた新選組は、なかなかの合理主義だったのかもしれません。
「個人での戦いには限界がある。一人ひとりの役割を整えて、集団で戦うのは重要だ。シフト制も一人に負担を集中させないためには必要だ。やはり、新選組のやり方はイノベーティブなところが多いな」
150年以上前に行なわれたことに共感する佐々木なのでした。
新選組はゴリゴリのスタートアップ?
新選組は、主に10代から30代の若者が集まった集団でした。身分を問わず同じ志をもつ若者たちが集い、徐々に勢力を拡大していく様子は、現代に置き換えればスタートアップそのものです。
ピーク時は200人以上の隊員を抱え、幕府からの援助だけでなく、豪商(今で言うエンジェル)から資金を調達して活動していたのだとか。当時の出納帳によると借金返済に苦労していたこともわかっているんです。そんなリアルな一面も現代のスタートアップに似ていますね。
そんな新選組の報酬体系は、当時としては革新的な仕組みを採用していました。まずは給料制だったこと。
当時の武士は、身分により幕府や藩から米で家禄を支給されていました。武士はその米を売って現金化し、生活必需品などを買い揃えていました。
しかし、新選組は1ヶ月3両の給料制だったとのこと。当時の1両は現在の3万円ほどの価値。つまり、新選組の隊士たちは月給約9万円。命がけの仕事にしては割りに合わない金額にも見えます。
ただし、幹部はもう少し給料は上乗せされていたとのこと。また、手柄を上げるとその分は臨時収入が上乗せされる歩合制も併用されていました。池田屋事件で先陣を切って突入した近藤勇は30両(約90万円)の報奨金をもらっています。
「新選組の月給は最低賃金保証なんです。基本的には実力主義で、手柄によって報酬が変わるんです。」
なんとなく、外資系みたいな賃金体系ですね。実力成果主義です。
これを聞いた佐々木は考えました。
「ギズモード編集部の給与体系も見直したほうがいいかな…。歩合性にするか…。」
こればかりは佐々木の一存では決められないので、あとで社長と話し合ってください。
タブーとされていた豚肉をいち早く食していた!
幕末には、ヘルスケアのイノベーションもありました。その一例が「豚肉を食べる」こと。文明開化以前は仏教の影響で「四つ足の獣は食べない」のが一般的でした。
しかし、水戸藩主の徳川斉昭(とくがわなりあき)や新選組などは豚肉を食べていたとのこと。徳川斉昭は物珍しさとおいしさから、薩摩藩主の島津斉彬(しまづなりあきら)から送ってもらい食べていましたが、新選組の場合はもっと切実な理由がありました。
「西本願寺に新選組が屯所を置いていたとき、松本良順(まつもとりょうじゅん)という幕府の医者が視察に行きました。そのとき、180人ほどいる隊士の半分ほどが病気にかかっていたそうです。それを見て、まずは病人の隔離をすること、大浴場を作ること、そして鶏肉や豚肉などの栄養価の高いものを食べることを指示しました。いわゆる健康指導、栄養指導をしたわけです。その後新選組では、鶏や豚を買ってきて飼育し、食べるようになりました」
当時は脚気(かっけ)などの病気で命を落とす人も多かった時代。ビタミンBが豊富に含まれる豚肉は、滋養強壮にもってこいだったわけですね。上流階級や知識人は、豚肉をごちそうとして食べていたようですが、新選組にとっては健康のために食べていた側面が強かったようです。
ちなみに、調理方法はシンプルに焼くか煮るかで食べていたのではないかと言われています。味付けも塩か醤油、味噌だけだったようです。
「四つ足の獣は不浄」という仏教の教えからタブーとされ、食べることがなかった豚肉ですが、さぞやおいしかったでしょうね。
「豚肉を食べることは、食文化が変わっただけではなく、ヘルスケアの観点でも新しかったのか…」
佐々木は、おととい食べた豚しゃぶのことを思い出していました。
「今日の夕食はサムギョプサルにしよう…」
幕末のイノベーションは現代のイノベーションに通ず
幕末や明治維新のイノベーションについて学べる霊山歴史館は、日本でも唯一といっていい、倒幕派と佐幕派の両方の展示が楽しめる施設です。約5,000点の所蔵物から、季節ごとに約100点を展示しています。
実は霊山歴史館の初代館長は、あの松下電器産業(現パナソニック)の創業者、松下幸之助さん。戦後に国費で管理できなくなった霊山ですが、祀られている幕末志士達の思想を若い世代に伝えるため、松下幸之助さんの支援で作られた歴史館なのです。そう考えると、テックともゆかりがある場所なのがわかりますよね。
清水寺や八坂神社など京都の名所も近くにありますし、京都観光の王道ルートに組み込むのがおすすめですよ。
木村さんにいろいろ説明を受けながら、当時のイノベーションについて想いを馳せた佐々木。
古きものと新しきものが交差した、激動の幕末。現代に負けず劣らず、ハードの面でもソフトウェアの面でもイノベーションが起きていたことを知りました。
そして、志の高い若者たちで結成された新選組と、日本だけではなく世界に散らばった個性的なライター陣が集まったギズモード・ジャパンがどこか似ていると感じました。
「ギズモードを今一度せんたくいたし申候」
佐々木の視線の先に見えているのは、どんなイノベーションなのでしょうか…。もしかしたら、これからギズモードに大きな変革があるかも? (多分ない)
霊山歴史館
アクセス:
JR・近鉄・地下鉄 京都駅から
・市バス[D2乗り場]東山回り206号で「清水道」または「東山安井」下車、徒歩約7分
・市バス[D1乗り場]急行100号で「清水道」下車。「東山安井」には停りません。
京阪 祇園四条駅から
・市バス東山回り207号で「東山安井」または「清水道」下車、徒歩約7分
・または徒歩で東南へ約20分
阪急 京都河原町駅から
・市バス東山回り207号で「東山安井」または「清水道」下車、徒歩約7分
・または徒歩で東南へ約25分
開館時間:午前9時~午後5時30分(受付は閉館30分前まで)
展示内容:春の特別展「徳川幕府と新選組」を開催中(2020年5月17日まで)
詳しくは公式サイトからどうぞ。
Source: 霊山歴史館
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March 31, 2020 at 05:00PM
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新選組ってスタートアップっぽい!「霊山歴史館」で見る幕末イノベーション - ギズモード・ジャパン
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