同店は1905(明治38)年、時計店として天文館に創業。柱時計はドイツ製で、大正時代の初めに日本に輸入され、福岡市にあった5台のうち一つを初代の有馬三之助さんが購入したという。 先代で孫の忠夫さん(81)によると、戦局が悪化した44(昭和19)年、両親や祖父母らと柱時計をトラックに載せて疎開先の牧園町(現霧島市)に運んだ。店は翌45年6月17日の鹿児島大空襲で焼失した。 忠夫さんは「あのままだったら柱時計は焼失していたはず。祖父はハイカラな人で、疎開先では大切に保管していた。当時をしのばせる思い出の品」と語る。 一家は戦後、焼け跡近くに店を再建し、柱時計を再び設置した。 中央部の重り(分銅)が垂れ下がる力で動く「重錘式」。15分ごとにチャイムが鳴り、時報はボーンという重厚な音色を響かせる。年代物で替えの部品が手に入りにくくなっているため、今は時々動かすことにしている。 4代目で現社長の明治(あきはる)さん(48)は「まさに大きなのっぽの古時計。温かみがあってオーラを感じる。できるだけ長く守り継いでいきたい」と話した。
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August 15, 2020 at 04:30AM
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戦災越え、100年以上時刻む柱時計 中町の有馬明治堂(南日本新聞) - Yahoo!ニュース
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