
足元から日本と世界を見つめる。それをグレートジャーニー後の目標に定めた僕は新しい旅に出ます。人類はアフリカから拡散する途中で枝分かれし、日本列島にもやってきた。日本人の祖先の道のりをたどる旅。僕はそれを「新グレートジャーニー」と名づけ、実行に移しました。55歳での出発でした。
《日本列島に進出したと考えられる主なルートが三つある。一つはシベリアからサハリン経由で北海道に入ったとする「北方ルート」。二つ目は朝鮮半島から対馬海峡を渡って日本にやって来たとする「中央ルート」。三つ目が東南アジアから島伝いに海路で来たとする「海上ルート」。進出は4万年前の後期旧石器時代以降とされる》
北方ルートから旅を始めました。人力と自然の力で進むのはグレートジャーニーと同じですが、今度は大学の春夏の休みやサバティカル(長期研究休暇)を使った旅になります。
グレートジャーニーでも通った極東ロシアの町を2004年7月に出発。翌年1月末、食料を積んだソリを引き、徒歩で凍結した間宮海峡を渡りました。
海岸線に沿って、主に海氷の上を南下しました。氷が緩むのが予想外に早く、海氷上の移動が難しくなったため、冬の旅は半月余りで切り上げました。翌年7月に、同じ場所から自転車で旅を再開しました。
途中、北緯50度線に差しかかりました。日露戦争の後、太平洋戦争が終わるまで、日本とロシア(ソ連)の国境線でした。道沿いに高さ2メートルほどの碑があり、小さな折り鶴が置かれていました。ここを訪ねた日本人が戦没者の魂を慰めるためにささげたのでしょう。僕も戦争の歴史に思いをはせ、ノートの切れ端で鶴を折り、手を合わせました。
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